同時に、パール判事は、日本の侵略も道義的責任はある、平和憲法・世界連邦制も指摘>

悪用されたパール判事の日本無罪論

1  1949年、A級戦犯松井石根氏の私設秘書である田中正明氏は、東京裁判の弁護人である清瀬一郎氏からパール判決書の内容を聞きました。

 1952年4月、田中正明氏は『日本無罪論-真理の裁き』(太平洋出版会)を刊行しました。

 1952年10月、パール判事が来日しました(田中正明氏の出版祝賀会も兼ねていました)。

 1963年、田中正明氏は『パール判事の日本無罪論』(彗文社)を刊行しました。

 1966年、『共同研究パル判決書』(東京裁判研究所)が刊行されました。

2  新しい教科書を作る会の藤岡信勝氏が編集する『教科書が教えない歴史2』(産経新聞ニュースサービス発行)には「事後法の裁きに反対したパール判事」として、次のように紹介されています。

 「裁判では日本の戦時指導者たちを「平和に対する罪」などを定めた「裁判所条例」により、過去にさかのぼって裁きました。これは文明国では絶対にしてはならないことです。

 このためパールは東条英機元首相ら七人に死刑を宣告した判決に異議を唱え、別の意見書を提出しました。その中でパールは、この裁判が事後法 (事件の起こったあとに、それを裁くために作られた法律で、近代国家では基本的に禁じられている) による裁判で不当であること、裁判の目的が復讐心の満足と勝利者の権力の誇示にあること、勝者が敗者を罰することによって将来の戦争を防止し得ると考えるのは過信にすぎないと説きました」

 この指摘は正しいのですが、同時に、パール判事は、日本の侵略も道義的責任はある、平和憲法・世界連邦制も指摘しています。都合のいい方だけのつまみ食いは、「教科書が教えないほうがいい歴史」です。 

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